学問・資格

13 手習い・目習い・耳習い

[たいたいブログ:013号]   

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たいせいの生きいき人生論―(10)
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◎ 「同じものを見ても違うものを観ている」

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10 手習い・目習い・耳習い 
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(1)誰でも上手になります。

 書道を習い始めた頃先生に伺いました。「誰でも上手になれるものでしょうか?」「なれます。休むことなく続ければ、誰でも上達します。」とのこと。その言葉を信じ習い始めましたがこれがなかなか「奥が深くて、上達が遅い」というのがそれ以後の実感であります。

私の場合「ある程度までで十分、せめて年賀状が書ければ上等」と、そもそも動機がその程度であった事も多分に影響しているかも知れませんが、道はまだまだ遠いようであります。

 

(2)手習い・目習い・耳習い

 そのころ、先生から言われた言葉が「手習い・目習い・耳習い」でありました。まず手習いですが、これは手本を見て臨書すること。そして先生から直してもらうこと。その為に大切なこととして、よい先生につくこと、よい筆を選ぶこと、よい手本を選ぶことであります。

次が目習いですが、これは鑑賞眼を高めること。その為の訓練として「多くの作品を見ること」だそうであります。

そして、最後が耳習いであります。これは先生・先達を始め人の話を聞くこと、ということであります。


(3)一芸は道に通ず

 書道のみならず、芸術・芸能・スポーツ・職人技から仕事や日常生活に至るまで、人が係わり取り組む事柄は、極めようとすればするほど相通ずるところに向かうのではないでしょうか。

前段の手習い・目習い・耳習いでも同じようでして、我々の習いと先生の習いでは大きく違っているようです。

例えば目習いですが、初心者は「文字」を見てその「上手・下手」を言いますが、上級者になりますと文字と同時に「余白」を見るという違いがあります。更に先生に至りますと、どれだけ多くを見ているのか我々には理解できません。

また、作品審査の時などは「目が一番疲れる」と言われる。同じ作品を同じ数だけ見て、我々が疲れないのに、先生は疲れる。これは何も高齢が為せるものだけではないと思うのであります。修練の差は「同じものを見ても違うものを観ている」ことになるようです。

 スポーツの世界では選手は比較的若い年齢で最高峰に上り詰めることがあります。そこには年齢を超えて究極をつかんだ者だけの相通ずる道があり、一芸を身につけたものだけの世界があるように思います。

(4)吾道一以貫之

 人間はみな「幸福になりたい」と思っています。そのためにあれもしようこれもしたいと思案し試行錯誤を繰り返していると思いますが、どうやら王道は「吾道一以貫之」のあるようです。

福沢諭吉先生ではないですが、「人として一番幸せなことは生涯を貫く仕事を持つことである」というところにあるのではないでしょうか。そして「道を究める」こと即ち「幸福になること」に通ずるということのような気がします。

 日本列島はこれから新緑の季節に向かいます。総ての命が躍動し成長発展する時期でもあります。世の中は往々にして不景気やら新型インフルエンザやらで、不安と混乱の要因に事欠きませんが、こんなご時世であればこそ「人生の王道とは?」思いを馳せてみるのも、「時にはいいかも」と考えるのであります。


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